Feeling

先日

午後からは湖が見える温泉へ。
釧路から車で30分 自然が溢れる場所の露天風呂がある温泉へ行ってきました。

露天風呂へ入ると親しげに話しかけてくる方がいて
その方は露天から見える湖岸に向かって一眼レフで激写。
三羽の鶴の親子に向かって露天に入りながら一眼レフで激写。
なぜ露天に一眼を?と思いつつも
「防水なのですか?」と伺ってみたら、
カメラの話などでその方と10分程話で盛り上がった後…

「あれ?もしかして○○さんですか?」「Pちゃん だべ!」
気が付かない俺達って…。

20代の頃にアマチュア無線が趣味でご縁で可愛がって頂いた方でした。
年齢が一回り違う知人との、嬉しい22年ぶりの再会。

20代の頃はその方から20mの鉄塔やアンテナ保守を頼まれていました。
南洋漁業で家を留守にすることも多く、
強風により故障したアンテナ修理を船からの国際電話で頼まれたこともあったっけなぁ。
ご家族皆さんに可愛がって頂いていたので、
本人不在のお宅で何度か留守を守っているご家族みなさんと食事を頂いたりしたことも。
その頃はちびっ子だった娘さん達には「お嫁さんになる~」なんて言われたけれど
もう嫁いで二人のお孫さんがいたり。

今は貨物船に乗っていて数ヶ月に一度帰釧とのこと。
そんなタイミングで会えるって不思議な導きを感じました。

鶴を見ながら、とんびに見守られ。
露天風呂で昔話をしていたらいつのまにか2時間の時が経っていました。

ゆっくり温泉に!という事でしょうかね。そんな出会い。

朝飯、昼食も食べないで15時。
お風呂を出るとさすがにふらぁ~っとしてきたので、慌てて糖分の補給。
「塩分! カロリー!」と僕の顔色を見て慌てたmikaさんに言わせて申し訳ない。

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急いでレストランでミートかつスパで栄養の補給。

20代の頃を振り返ると、プライベートでは一回り程年上の個性的な方とご一緒する機会が多く、
自分は、その中で目立たずひっそりとおとなしい方だと思っていました。
年上のたくさんの個性的な方に見守られて、育てられていたことに改めて気づく49歳。
若い頃には普通のこと、誰にでもあることと思っていた事でしたが
改めて考えてみますと、すばらしい経験だったのだと思います。
年上の知人を通して過去の自分からも気づかせていただく時間でした。

あまりの長風呂にmikaさんから「大丈夫?」とメールが来たけれど
実は露天風呂に持ち込んだスマホで見ていました。
「一眼レフを持ち込む知人とPさんどっちもキワモノだ!」
と風呂上がりにmikaさんに言われた次第。

思い立って行った温泉。出会いと気づきと学び。
良いデトックスの日になりました。
ありがとうございます。
レイキのできるマッサージ師の生徒さんからは
腰痛から解放されましたね。どうか労ってください。
知人からはこの際だから徹底的にデトックスを。
などとありがたいお言葉をいただいています。
いつもありがとうございます。

Feeling

小学校の頃3年間そろばん塾に通っていました。
その頃は、「読み書きそろばん」という言葉があって書道塾やそろばん塾があちらこちらにあったと記憶しています。
書道も数ヶ月行きましたが肌に合わず辞めてしまいました。
今でも足し算をするときは頭の中のそろばんがそろばんをはじいています。
そろばんは「ごわさんで願いまして~は」という掛け声で始まる。

電卓が高価だった、ワープロもパソコンも生活にはなかった時代でした。
今はパソコンやスマホが言葉まで認識する。
便利すぎるがゆえに自分の中にある自然に気づかなくなるときもある。

そろばんは0から始まる。
まるで自分の内を観る準備に似ています。

Feeling,釧路

小学生の頃まで釧路の下町と言われる地区に住んでいました。
周りは大人は漁師の人たちばかりだったので荒っぽい地区。
小学校のエリアは公務員住宅も含まれていたので、今思えばかなり混沌という中で育ってきたんだと思う。

なんとなくそんな事を考えながら小さい頃の灯篭流しを思い出した。
毎年8月16日は幣舞橋近くから灯篭流しが行われていた。
あまり覚えていないけれど自作したという豪華な灯篭舟もあった。
自分はというとお店で舟と家にあったろうそくを乗せたような気もする。
それはもしかしたら町内会で配られたものだったのかもしれない。
灯篭舟を流した後は高台の幣舞公園に集合した。
町内会、遺族会、仏教会色んな旗があった
収まきれなかった人は幣舞橋まで続いていた。
数百(もしかしたらもっとかもしれない)という川から海へと向かう灯篭を集まったみんなで見ていた。

今晩は新釧路川で花火大会。
昼までの雨はやみ絶好の天気になりましたね。
お盆の最後の日。
光と音楽しみましょう。