昨日は満月、綺麗な月が浮かんでいました。
夜に少しの時間、瞑想をしましたが身体がそわそわして落ち着かない。
頭頂からエネルギーが入ってくると共に足元から抜けていく感じ。
Xフレアーがあったり、共振周波数がいつもとは違っていたようです。
1時間おきに目が覚めましたが、朝には落ち着いていました。
これからは見えない事と共に現実の変化が激しくなるのだと思います。
落ち着くことと共に楽しむ事を忘れないようにしましょう。
満月
朔日詣り ― 雨と風に包まれる朝

月の初め、朔日(ついたち)は、
心と身体の流れを整える大切な節目のひととき。
新しい月を迎えるこの日は、
できるだけ静かに過ごし、
今の自分の在り方を見つめ直すようにしています。
慌ただしい日常の中でも、
立ち止まり、呼吸を感じ、
ただ「今ここ」に心を戻す──
それが私にとっての朔日詣りです。
雨音に導かれて向かった、今朝の神社。
鳥居をくぐると、風が頬を撫で、
境内の空気がすっと澄んでいくのを感じました。
雨は大地を浄め、風は滞りを流していく。
その自然の働きはまるで、
レイキのエネルギーのように静かに、やさしく流れていました。
祈りの中でふと、
「すべての流れは、必要な方向へと導かれている」
──そんな安心感が胸の奥に広がっていきました。
天と地、人と自然、
そしてわたしたちの内にある光が
ひとつに溶け合う瞬間。
今日という日がまた、
新しい始まりとして開かれていくのを感じました。
日々の中でもほんの少し立ち止まり、
呼吸を整え、手をあて、心の光を感じてみてください。
それだけであなたを見守る存在がやさしくあなたを包みはじめるでしょう。
今日という一日みなさんにとっても、
穏やかで光に満ちた日でありますように
息を吐く — 霜の朝に寄せて

朝の庭で、
冷たい空気の中に立ちながら、
「息を吐く」ということの意味を感じました。
それは、手放しと再生をゆっくりと教えてくれる、
自然からの呼吸のレッスンのようです。
庭の片隅で、
小さな赤い実が光を抱いていました。
夜のあいだに降りた霜が、
葉の縁を白く縁どりながら、
季節の深まりを静かに告げています。
吸うよりも、
今は「息を吐く」ことを意識してみる。
胸の奥に溜めていた想いを、
そっと風に溶かすように。
息を吐くたびに、
身体の奥の余白が広がっていく。
そこに、新しい息が自然と満ちていく。
足元を見れば、
土は冷たく、確かに息づいている。
その上に立つ自分もまた、
ひとつのいのちの循環の中にいる。
実を結び、枯れ、
やがてまた芽吹く庭の草花たちのように、
私たちも、手放しながら生きていく。
霜の降りる季節は、
静けさの中にある再生のとき。
息を吐くたびに、
やさしく光が混ざる朝です。