先日、父から
「母さん、風邪ひいた」
という連絡があった。それだけである。
その後どうなったのかの続報はなし。
つまり、私は母が風邪をひいたというニュースだけを受け取り、あとは想像で過ごすことになった。
最近気づいたのだが、うちの親は
ニュース速報だけ流して続報を出さない放送局方式
で生きているらしい。
気になったので、妻と一緒に様子を見に行くことにした。
家に着くと、父は外で長い鍬を持ち、雑草と真剣勝負中。
母も思ったより元気そうだった。
「心配かけるのはいやだから」
と言う母。なるほど、意地でも連絡はしないタイプらしい。
弟たちもそれぞれ忙しい中、少しずつ連絡を取り合いながら、こういう親の流れに巻き込まれきた。僕も弟もパートナーを得て家族の距離感はまだ手探り。バランスを保つ努力をしている。
昨日持っていった免疫ドリンクやみかんや弁当を見て、二人とも「食べるよ!」と喜んでくれた。実際に食べたかどうかの確認はまだ来ていない。それもまた、気が強くて依存思考の親らしい。
こうして考えると、家族というのは、完璧な距離や正しい形を保つものではなく、それぞれ不器用でも、ちょっとした気遣いや訪問が見えないところでつながりを作っているのだろう。
人はそれぞれの人生を生き、それぞれの距離の取り方で家族を続けていく。完璧じゃなくても、気にかけ合える関係があれば、それで十分なのかもしれない。
昨日の弁当と、母の「食べるよ!」の声を思い出しながら、そんなことを考えていた。
親がいたからこそ見えないスピリチュアルな(例えばご先祖様との)繋がりを感じられる。現実は色々あるけれど親、そして妻には感謝する事ばかりです。