カモミール亭

今年に入ってから僕も沢山の未来への怖れを感じてきました。
経済的な事、身体の事、心の事、家族の事…
数えればきりがないほど。

それでも今僕は生きています。
幸せな事に、お金も何とかなっていますし、身体もとりあえず健康、家族も疲れてはいてもとりあえず健康を保っています。

今はたくさんの方が違和感や閉塞感を感じている事と思います。
多かれ少なかれ、違和感や閉塞感や感じていない方はいないでしょう。

それでも前へ進める方、立ち止まったままの方の違いは何なのでしょう。

自分が感じる事、感覚を大事にしていますか?
それを否定していませんか?

心の鍛錬をしていますか?
何か一つでも、感覚を磨く事をしていますか?

それは自分への感謝に繋がります。
自分の感覚を良い悪いは考えずまずはそう感じている自分を認める事。

そうすること、それだけで前へ動き出せる人も多いと思います。

自分を深く観る事。

神様は私たちを見ていてくれている事でしょう。

きっとチャンスはやってきます。

カモミール亭

人は何度でも生まれ変わる事ができる。
そしてそのチャンスを与えられている。
そう感じます。

個人的な事ですが。

6月の中旬、「父親が入院したと」母親からの電話。
入院先の病院への訪問を少しの間控えていました。
その後、何度も病院へ行く事にはなるのですが。

できるだけ手術は避けようということで処置を施しましたが一向に数値が回復せず。
このままでは、いつ急変するか判らないという事で
入院から一か月、2度目の心臓弁交換手術ということになりました。

手術件数を減らしている昨今ですから、本当に命の危険が差し迫っていたのだと思います。
心臓外科の執刀医の先生からも何度も説明されました。
合併症、術後透析の可能性は半々、等々ある程度障害が残る事を息子ながら覚悟をしていました。

こういう時には、色んな事が頭をよぎります。
全てではないにしろ後悔だけはしないようにできる事はしようと決めました。

22年前の初回の人工弁への置換手術は約10時間という大手術。
人工心肺装置から切り替え、止まった心臓は電気ショックでようやく帰還しました。

今回は8時間にわたる人工弁(器械弁)から人工弁(生体弁)手術。
人工弁との癒着もあり相当大変だったと執刀医の先生から術後の説明で伺いました。

そんな経緯を知ってかしらずか
80歳を過ぎた父でしたが周りが思って以上の回復ぶり。
術後の経過も順調で、次の日にはICUから一般病棟へ移りました。
当初術後一か月以上は入院の予定でしたが、お盆前に無事退院に至りました。

わがままな父親ですからさぞかし大変だったろうかと思います。
内科の先生、心臓外科の先生をはじめ、看護師さん、病院関係者の方々には本当にお世話になりました。

父親を見て思うのです。
人は何度でも生まれ変わる事ができるし、そしてそのチャンスを与えられる。
不平、不満を言えばきりがない。
感謝をもっていきるかどうか、その先は自分次第なんだと思います。

護られている事に気が付き、チェンジするもよし。
そのままいきるもよし。
息子ながらそう思わずにはいられません。

色々心配を掛けた妻のmikaさんと共に。
ささやかなリラックスタイム。

お盆という時期でした。
たくさんの方々に見守られていたんだと思います。
ご先祖の皆さん、いつも見守ってくれてありがとう。

【おまけ】

これはmikaさんが手術前に退屈だろうからと、リハビリも兼ねて渡しておいたねぷたの塗り絵。
青森育ちの父。いつの間にか塗っていました

カモミール亭

17年前の今頃。
屈斜路コタンに建っていたチセに立ち寄りました。
普段は寡黙でどちらかという怖い感じの男性。

そこではムックリの鳴らし方を教わりました。
コツを掴めない僕に手を取り、時間を掛けて。

それ以来、何度もそこを訪ねる事になります。
伝統的なゴザを、植物を煮出すところから行っていたり
訪ねるたびに僕たちが知らない新しい事をやっていたりしていました。

親程年の離れていた日川さんからは、いつの間にか「あんちゃん、よく来たな~」と言われるようになっていました。

その時にはこんなに長いお付き合いになるとは思わなかった。
縁って不思議なものです。

今年、初夏の頃、阿寒湖畔に住んでいる日川さんを訪ねました。
mikaさんが突然、「この人、日川さんにマキリを頼みたいんだって」と言い出しました。

以前から思っていた事でしたが、マキリは魔を切るもの。
恐れ多くて言い出せなかった僕に代わって言ってくれたのでしょう。

他の依頼もあるようなので「僕の分は後でお願いします」と言ったと思います。

ただ「わかった」と言って。
元鉄工所勤務と知っている日川さんに、これは自分でやれと渡されました。

1か月後やっと時間を作り少しずつ刃の加工を始めます。

一気にやろうとして電動工具を使うと刃が焼けてしまうので砥石で少しずつ。
まだまだ加工したい場所が残っている。

そんな矢先、お盆の入りと共に僕のもとに鞘と柄がやってきました。

日川清さんが、初めて彫った紋様だそうです。

そして、僕のものだからと鹿の角と日川さん自らがイラクサから撚った糸が使われていました。

ありがたいと思うと同時に、仕事の速さに頭が下がる思いです。

刃を早く鞘に納める事が出来るように頑張ります。
早く色が出てくるように、そして大切に使います。

いつもありがとうございます。