Feeling

昨日は個人セミナーとレッスンを受けに札幌に出かけてきました。
セミナーの前後に神宮にご挨拶とご報告を行ってきました。
いつ行っても北海道神宮境内のエネルギーは清々しく感じます。
神殿内ではおごそかに結婚式が行われていました。
縁について思いを馳せますね。
ただ手を合わせしばし佇みセミナーへと向かいました。

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いつ行っても御製には…。

カモミール亭

カモミール亭という屋号が付いたのが10年前の今頃。
僕の師匠が道東で宿泊セミナーとワークを企画する、そのお手伝いをさせて頂きました。
そんな折り庭にカモミールの花が咲いているよという話から、
私のレイキの師匠が「じゃあカモミール亭ではどう?」そんな話しの流れだった気がします。

安易に決めたのは良いけれど、カモミールの花言葉を調べて愕然としたのを覚えています。
ワーク、レイキ、カウンセリング、…そんな大それた事をするなんて思ってもいなかった頃でした。

今まで沢山のご縁や出会いをいただいてきました。紆余曲折もたくさんありました。
10年一昔というけれど、過去のメールを見ていてあらためて10年という月日を感じています。

恋問海岸3-20010922

カモミールの花言葉は、癒し、逆境、 親交。
これからもあなたを包み、そして引き出す。そんな場所でありたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

カモミール亭

この仕事を始めたのは、師から「佐々木さんやれるんですから、やってください」そんな感じでした。

数年拒絶していたもののひょんな事から自分が言い当ててしまう出来事がありもう逃げてもいられないと観念しました。それでも自分の事は判らないもので、師からのアドバイスで家系を調べてみることに。嬉々として家系図を書いてきた父。そこには色んなことが書き加えてあり見えてきたものがいっぱいありました。
小さい自分に育ての里親の元に出された父。若い頃の父は、家系のことを話さない人でした。
太平洋戦争のドキュメンタリー(昭和40年代はよくテレビでやっていた)を見ていると、急に怒り出し「戦争のせいで俺の人生は狂ったんだ」と言っていたのをよく覚えています。

父が育ったのは青森下北半島の東通村、「日本一貧しい村」と新日本紀行アーカイブで見たのは最近の話。その町から父は後を継ぐはずだった家を捨て北海道に渡ってきた。

話は戻ってその家系図には恐山でイタコをしている叔母さんが居ることが書いてあった。
師に言わせると、ご先祖様のおかげでもう修行は済んでいますからとの事だった。
そう思うと、自分がなぜメッセージを受け取れるのかが判るような気がします。父が果たせなかった事を自分がさせていただく。父のおかげで自分に役割が与えられたんですね。
自分が受け入れた途端思い出したことがあります。
トイレのドアを明けると白装束の叔母さんが立っていた。怖くなってもう見えないでくださいと夜中にベッドでうずくまっていた少年時代。自ら回路を閉じたあの頃。他にもたくさんの小さい頃の記憶。いつも守られていたんですね。

今はなぜ怖くないのだろう?修行をしてきたおかげだろうか。でもまだまだ人間修行が足りないのです。