Feeling

戦中に十和田市で生まれ、下北で育った父。
小さなころからあまり家族の事は話したがらない父でした。
そんな父に数年前に家系図を書いて欲しいと頼むと嫌がりもせず観念したようにあっさり家系図を書いてくれました。

騙しきれないと思ったのか、そこには様々な事が書き込まれていましたが自分がイタコの家系と知ったのはその時。10年ほど前の事。
白装束を着たおばさんが夢に出てきたと話した時に「それイタコの叔母さんだ」と言った父。俺が子供のころに早く言ってくれていたらもっと楽に生きられたのにと思います。

小さなころから感じていたもの(人)、夢、幻と感じていたものがその人だったのだとそこでやっと繋がりました。どこか胸の奥で安心し力が抜けたような感覚は今でも忘れられません。僕の後ろでいわゆる指導担当をしていた叔母さん。代わりに修行をしてくれていたんだと知ったのはそれから後の事でした。

そんな事をmikaさんに話すと「結婚前に言ってよ!てっきり普通の人だと思っていたのに~」と言われたのも忘れられません(笑)。

DSC_2922

見えないものを感じる事が出来る不思議。
それは世の中の人が全てが感じられる事だと思っていました。
自分の中では当たり前のような感覚でした。

小学生の頃、送り火に見えたものを話すと父からは周囲には話すなと口止めされたことがあります。
自分には二人の弟が居るのですが「お前は変わっている」と小さい頃から父に言われていました。
この仕事をすると告げた時も「お前は変わっていたからな」と再度。

土用明け、立秋、そしてもうすぐお盆。
繋がりに感謝しつつご先祖に手を合わせます。

カモミール亭

この仕事を始めたのは、師から「佐々木さんやれるんですから、やってください」そんな感じでした。

数年拒絶していたもののひょんな事から自分が言い当ててしまう出来事がありもう逃げてもいられないと観念しました。それでも自分の事は判らないもので、師からのアドバイスで家系を調べてみることに。嬉々として家系図を書いてきた父。そこには色んなことが書き加えてあり見えてきたものがいっぱいありました。
小さい自分に育ての里親の元に出された父。若い頃の父は、家系のことを話さない人でした。
太平洋戦争のドキュメンタリー(昭和40年代はよくテレビでやっていた)を見ていると、急に怒り出し「戦争のせいで俺の人生は狂ったんだ」と言っていたのをよく覚えています。

父が育ったのは青森下北半島の東通村、「日本一貧しい村」と新日本紀行アーカイブで見たのは最近の話。その町から父は後を継ぐはずだった家を捨て北海道に渡ってきた。

話は戻ってその家系図には恐山でイタコをしている叔母さんが居ることが書いてあった。
師に言わせると、ご先祖様のおかげでもう修行は済んでいますからとの事だった。
そう思うと、自分がなぜメッセージを受け取れるのかが判るような気がします。父が果たせなかった事を自分がさせていただく。父のおかげで自分に役割が与えられたんですね。
自分が受け入れた途端思い出したことがあります。
トイレのドアを明けると白装束の叔母さんが立っていた。怖くなってもう見えないでくださいと夜中にベッドでうずくまっていた少年時代。自ら回路を閉じたあの頃。他にもたくさんの小さい頃の記憶。いつも守られていたんですね。

今はなぜ怖くないのだろう?修行をしてきたおかげだろうか。でもまだまだ人間修行が足りないのです。