レイキ,瞑想,釧路

冬から春、季節的にも大きな変化が起きるときです。
毎年書いているような気がしますが、今年はちょっと様子が違うようです。
漠然と大きな変化が来ると誰もが感じているでしょう。
何かをしないと!と思っている方も多いでしょう。
漠然とした不安、怒り、怖れ…よ~く考えてみて欲しいのです。

木々が芽を出すのは目に見える事、目に見える事を楽しむのはとても大切なことです。
でも、目に見える事だけを追いすぎないで、深いところで何があるのか感じる工夫も必要です。
人それぞれの感情の奥に眠らしているモノを見つめ取り出していくとき。
大きな木に耳を澄ませると水の音が聞こえるでしょう。
自らの中では感情というベールを取り外す時間を作る工夫をすべきです。
スーッと自分の中に何かが落ちる瞬間があるはずです。

カモミール亭で行う瞑想法は、レイキの基本的な合掌瞑想その範疇にとらわれずに行っています。
レイキはヒーリングの技法と捉えらりがちですが、自分の直感を磨いてくツールにもなります。
レイキを習得された方には、今年は惜しみなく使い方も含めてお伝えしていこうと考えています。
みなさん、どんどん質問してください。

※レイキは年齢や性別に関係なくだれでも習得できる技法です。
 ご興味があればいつでもお問い合わせください

ワークショップ,瞑想

誰にでもそれぞれの中にゆらぎはあります。それがどこから来るものなのか…。振動や振幅が自分の中から溢れ出るものならばそれは大きな糧となります。誰にでも人生の青写真のようなものを持っています。修正を加える度にゆらぎ、そしてより人生が広がっていく。

今日は時空統合のための瞑想をしました。
いつかお伝えできればと思います。
非常にシンプルな瞑想ですが、場所、環境、タイミング…。
全てが整わないと難しいです。それにレイキは必修科目です。

瞑想,釧路

先日ローカルラジオを聴いていて「瞑想」と話している方がいてふと耳に止まりました。釧路のとある総合病院の医師の方でも興味を持ち、そしてご本人も瞑想を実践されているとの事。あらためてそういう時代になったんだと実感します。その医師の方は「臨死体験」「死後の世界」の本も読んでいるらしく、熱を帯びて話していることが伝わってきました。札幌など都市部ではホリスティック的な講演会などが開かれていることを目にします。釧路となると中々と思っていましたが…。

始まりがあって終わりがある、終わりがあるからまた始まる。
生があって死がある。死があるから生がある。
僕たちは輪廻の中で。
多分そこには生きるヒントが隠されているんだと思います。

生死を職業にしている方が瞑想に向かう。そこには確固たる自由意志を感じます。

もっと自由に創造しましょう。瞑想することで創造力を磨くこともあるんですよ。