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ゼロになること

時にゼロになることが必要だと思う。
ゼロとは何も無い状態の事だけれど無のことではない。
時に人生には色んな事が起きる。
それもたくさんの事が自分を含めて自分の回りで起きる事がある。
切り替えが上手な人、そうでない人。
その違いは何だろう。知識もあるだろうし経験というのもあるだろう。
でも人は40歳を過ぎても惑う。そのときにゼロの状態で自分を見つめられるかどうかで選択は違ってきます。

瞑想をしている状態がエネルギーが高まり、ゼロに近づいた状態に近くなるともいえます。
自分はレイキを伝えさせていただいている。レイキと瞑想ってどんな相関関係と思われる方もいると思います。

瞑想を毎日5分でも実践してみてください。
最初は実践されている方から指導を受けられるとよいです。
ゼロという状態に近づき、そのうち物事の変化を今よりも感じられるようになります。

天を舞うように

時には地を這うように行動し、天を舞うように自分の内を観る。
変化を実感するためにこれからはもっともっと必要になるような気がしています。
自分をみるというと感情を意識する方が多いですが、どんな人ももっともっと深い領域に本当の自分がいるのです。
その領域を観るには、怖れや執着、固執が無い方がよいのです。

心の次元、魂の次元。
混沌を見るか、本質を観るかとも言えるかな。
残念な事に頭で考えても本質は観えないんですよね。
だから人は感覚を磨き鍛えるんだと思います
本質に拠り添って生きることが自分を引きだす事だとどこかでわかっているから。

あなたの感情の先にあるものは何でしょうか…。

旧正月の日に引いたカード

鳥之石楠船神-時空を行き来する船

本当は軽やかにしなやかに生きたいでしょ。
この船に乗るチャンスは誰にでもある。
今はそんな時だと思います。

<追記>
じゃあどうしたら…と思った方、あなたは変化を望んでいます。
自分に必要なものをたずねてみてください。

鏡開き

昨晩は鏡開きでした。
帰宅するとmikaさんが用意してくれた、小豆汁と餅がありありがたくいただきました。

鏡開き
鏡を開くこと、神社へいくと鏡が祭壇にあります。
ご神体が鏡というところもあり、鏡を開くということはそこからきているのだと思います。

一般的には餅を食べる日という認識かもしれませんが、鏡餅を飾るというのには歳神様をお迎えするという意味があります。
お供えしたものを食すというのは無病息災などを祈り歳神様と縁を起こすということが込められています。

お汁粉や雑煮で食べられる方もいますが、そこに登場する小豆。
豊穣という意味があります。

神様に供えられたものを豊穣の祈りを込めて食べる。
昔からの習慣や風習ですが、儀式的な意味合いがあるんですね。
空からの恵み、大地の恵みとの縁起。
そういうことを感じながらこの習慣と縁起が残っていくとよいですね。

餅たべましたか?