ふぉわーど

学生時代ってとりとめのないことを訥々と友達とずーっと話してたりしませんでした?
海とかを前にして並んでくだらないことずーっと話してるて感じ。
(旭川は海なかったけどイメージとしてね)
あれが大人になるとカウンターで並んで呑んでる感じになるのかなぁ。
似てるけどちょっと違うのよ…。
大人になってからでもある人はあると思うの。

 

 

お互いここまで話しても大丈夫って思っているのか…
実際その最中はそんなこと考えてたかどうかなんて覚えてない負荷の掛け合いで決裂することもあったりする…。
先があって、そこが終着点なわけではない事がわかってるというか…。
あれは何とも不思議な感覚なんだけれど…。

お互い暗黙のリスペクト感というのがあるもので…
これ…なかなか伝わりにくい文章だとは思うけれど、
伝わったり、知ってる人は幸せ。

 

 

 

私くらいの歳だと、
SNSはおろかメールのやり取りすらない時代で止まって、
数十年ぶりにいきなりSNS上で近況を知る事も多々あるのだけれど。
だからと言って再会して飲みに行ったりとか、SNSで会話してるとかでもない。

なのに、最近を知る周囲より気が付く。
SNSのどこに片鱗もないのに…。
それは…培われたリアルの積み重ねなのか…テレパシーなのか。

海で並んで話した友人達(イメージ)は
相変わらずその先とこの瞬間を見ている。

 

師走の始まりにそんなことをぐだぐだと。