Feeling

先週は無常という言葉がこだましていました。
ものごとは常に一定ではないし人の心も感情も、そして自然も。
人は何かを変えようとするし、変えようともしない。
そんな事がぐるぐると頭を駆け回っていました。

週末にあるニュースを目にした。
屈斜路コタンのチセが取り壊されたという。
数ヶ月前に管理しているおじさんからmikaさんに間違い電話があった。
「今年は行けるかどうかわかんねぇ~…」と。
やっと、間違ったふりした電話だと気がついた。
そして数年前から、おとづれるたびに「来年は来れるかどうかわかんねぞ」ということも理解した。
ここでも「アイヌと和人の歴史」と思ったことだった。

屈斜路コタンのチセ。
ここでは色んな事を学んだ。日川のおじさんは無口だったが行くたびに火をくべてくれた。
思い出すと色んなことが走馬灯のように駆け巡る。

ニュースを目にした日、mikaさんの電話におじさんは「だめだった…」と。
無常の世界。
大地とともに、空とともに、天とともに歩むことを忘れてはいけない。
思い出は私の脳裏に刻まれている。
もう留まらず、変わることを怖れない。

カモミール亭

この仕事を始めたのは、師から「佐々木さんやれるんですから、やってください」そんな感じでした。

数年拒絶していたもののひょんな事から自分が言い当ててしまう出来事がありもう逃げてもいられないと観念しました。それでも自分の事は判らないもので、師からのアドバイスで家系を調べてみることに。嬉々として家系図を書いてきた父。そこには色んなことが書き加えてあり見えてきたものがいっぱいありました。
小さい自分に育ての里親の元に出された父。若い頃の父は、家系のことを話さない人でした。
太平洋戦争のドキュメンタリー(昭和40年代はよくテレビでやっていた)を見ていると、急に怒り出し「戦争のせいで俺の人生は狂ったんだ」と言っていたのをよく覚えています。

父が育ったのは青森下北半島の東通村、「日本一貧しい村」と新日本紀行アーカイブで見たのは最近の話。その町から父は後を継ぐはずだった家を捨て北海道に渡ってきた。

話は戻ってその家系図には恐山でイタコをしている叔母さんが居ることが書いてあった。
師に言わせると、ご先祖様のおかげでもう修行は済んでいますからとの事だった。
そう思うと、自分がなぜメッセージを受け取れるのかが判るような気がします。父が果たせなかった事を自分がさせていただく。父のおかげで自分に役割が与えられたんですね。
自分が受け入れた途端思い出したことがあります。
トイレのドアを明けると白装束の叔母さんが立っていた。怖くなってもう見えないでくださいと夜中にベッドでうずくまっていた少年時代。自ら回路を閉じたあの頃。他にもたくさんの小さい頃の記憶。いつも守られていたんですね。

今はなぜ怖くないのだろう?修行をしてきたおかげだろうか。でもまだまだ人間修行が足りないのです。

レイキ,釧路

沢山の方がレイキを習得しに来てくださるようになりました。
それだけレイキという言葉が釧路にも浸透してきているのだと思います。
自分としっかり向き合いたいそのツールとして使う方、ご自身や家族の病気やそのケアの一環として使う方、ただ何となく興味を持った方、きっかけはみなさん様々です。

家族の病気をきっかけに積極的に生活にレイキを取り入れていく方もいます。
中でもガンという病気はご本人だけじゃなく家族の中にも様々な葛藤も生まれます。
その中でレイキをどう使っていけるのかをアドバイスしますが、僕が伝えるのはレイキの技術と共に心。
自分の感情としっかり向き合った時に、家族に対する心に辿りつく。
ココロと共にレイキを使うのも大事なことです。
ご家族やご自身の病気を通して様々なことを学びそして知ることもあるでしょう。
時には自分よりもご家族優先の生活を送らなければならないこともあるでしょう。
取り組み方次第で円満な結果がやってくるのではないでしょうか。
しっかりと向き合って、ガンを克服されて生活されている方もたくさんいます。

感謝の先にあるものをどう大切な方に伝えるかなんですけどね。