なんかの本に載っていた。
そこでずっと育つ植物は意味があると。
ワイルドベリーの花が咲いていた。(ピンボケしました)
この後、真っ白なお花だらけになるだろう。
でも未だに実は食べないうちに忽然と消える。
きっと鳥に先を越されているのだろう。
なので、葉を収穫。
スギナもいっぱい生えているので一緒に収穫。
そんなほんのちょっとの手間しか
かけてあげれないけれどね…。
どっちもすてきハーブ茶になるのです(*^^*)
先日、釧路の桜も満開となり、日蝕もあったことなので。
『日蝕だ、桜も満開 女子オーラキラキラ☆』と
サブタイトルを付け行いました。
今回お集まりいただいた方達に合わせて
レイキを使ったオーラのバランジングや、
オーラがキラキラ☆な方法を実習と共に行ってまいりました。
レイキを使ってキラキラUP大作戦!講習会となりました。
質問コーナーでは、こんなときはどう使ったらいいかしら?
より細かく、お伝えするためにHOW TO形式で行いました。
また日蝕で新月でしたので
オーラキラキラ☆の新月の願い事コーナーでは、
これまたHOW TO形式でお勉強しました。
盛り上がりすぎてすっかり、時間が…オーバーしましたが(^^;)
日蝕大サービスな会でしたぁ~♪
けれどお帰りになる頃には本当に皆さん
魂本来の、キラキラとした輝きになっていましたよ~♪
そうなってくださることが私たちの喜びでもあります。
お集まりくださってありがとうございました。(*^^*)
みなさん何がきっかけでレイキを学ぶのでしょう?
と取得をお考えの方にご質問を頂くことがあります。
家族のために。と言う方もいらっしゃる一方
ご自身の充実をあげる方も多いです。
子育てや、仕事だけで疲れてしまう。
プライベートの時間が上手に取れない。
そんなご自身を何とかしたい!と言う方も多いです。
レイキを習得してしばらく経つと、プライベートな時間が充実しています。
伸びた分、限界点まで突き進むがんばり屋さんもなぜか多いので
やっぱり疲れているように周囲に見られがちですけれど…。
限界点が伸びると、やはりチャレンジしたくなっちゃうよね。
『倒れたときにはここ(カモミール亭)がある~♪』って
言って下さるのはとても嬉しいです。
(が、日々セルフヒーリング!と言っておきます)
最初にいらっしゃった頃には、考えられないほど
『もう動けない~。』
って言っていた場所がはるか後ろにあるんですよ(*^^*)
そんな皆さんを私達は
日々誇らしく、日々嬉しく思っています(*^^*)
先日酪恵舎の山の恵みの即売会に行って
売ってたグラナ・パダーノは食べた瞬間嬉しくなった。
こんなに熟成したチーズが出るようになったんだなぁ。
そのうち2年経ったの食べたいなぁ。
今日はそのグラナでパスタ。
家に生えてきましたチャイブ。
それにオリーブオイル、鷹の爪、ほんの少し塩。
それだけのパスタに。
ゴージャスに削る。
途中で削り足しながら食べる。
おいしかった~。
至福のひと時でした。
冷蔵庫には、
テネロ・アルヴィーノ(ワインの絞りかすが入ってる)
アッフミカータが(スカモルツァを山桜で燻製)まだ控えている
これも楽しみ~(*^^*)
そうそう。
ここでしか食べられないソフト。
私的には今のところいちばーんっ!です(*^^*)
近所なら毎日行きたい。
チーズ工房・白糠酪恵舎
〒088-0342 北海道白糠郡白糠町中茶路
TEL / FAX : 01547-2-5818
もう10年近く前。ここのチーズを知った。
同時にこの人達を見かけることになった。
生産する立場の人は、育てるのがうまい。
生産する食物であったり、人であったり…
食物となる命を育てる人達はやはり違う。
みなが一人一人ちゃんと立って
誇りをいつも持っている。
各々が輝いている。
変わらないボランティアのスタッフが
パンを作っていたり駐車場にいたり…
奇抜なことはないかもしれない。
華やかさもそんなにないかもしれない。
段々と規模は大きくなっていているのに、
変わらぬ何かがある。
愛を育むということはそういうことなのだろう。
こうして今も続いている。
すばらしきかな。
折りしもスーパームーン。
月が迎えに来たよ。
さて、私達も所定の場所へ戻りましょうか…。
いつになったら
気が付くのでしょうね…。
Pさんはよく私の写真を撮ってくれます。
こういう場所での私の行動が面白いらしいです。
でも何で私は草を手にしてるのだろう?
どうやら、この日は私のKIN誕生日でした。
ちなみに青い磁気の鷲です(*^^*)
うん。納得(*^^*)
小さい頃から田舎にいることが多かったので。
危険かそうでないかを体感しながら育ちました。
だって、道があるから(道なき道とも言う)
今の親御さんが見たら
どれ見ても危ないって言われちゃうかな?
いつだったか、従姉妹たちとそんな話をしていたことがあります。
『私達は今考えると危ないところでも遊んでいられたけど、
子供たちには危ないからやめなさいって言いたくなる』って。
ギリギリのところで手を出さずに、
見守られて育っていたことに感謝しないとね。
スペクトルの月だったのか…。
まぁ…そうだよね。
解き放て。ってね。
何度か書いています、幼少時代を多く過ごした
旭川と隣町の境界近く、
祖父の家の画像データを探してました。
私が子供の頃は、家の周りはため池や水田だったんですけれど。
私が10歳の頃、祖父たちも高齢になり、
市内中心部に近い所に家を建てここは夏の家となり、
以降『山の家』と呼ばれるようになりました。
そのうち、減反で田も潰し、小麦に変え…
子供の頃とは風景が変わり…
その後は、日帰りで行く場所となり…。
親戚みんなで花見をする会場になったり…。
『今日山に行く?』みたいな使い方をしていました。
この時期、花が咲いてる年もあればそうでない年もあり…。
風景って当たり前にあると思っていたから…。
なかなか探してもないものですね。
もっと古い写真ならあるのかもしれないけれど
デジカメのデータはこれくらいしかないかな。
従姉妹の子供たちが、教えたわけでもないのに私達が子供だったときと同じように遊びます。
これももう10年近く前の画像ですけど。
こうやって命って続くのね…。
*
10年ほど前
帰省した折、夏の流星をみたいと友人に言われて。
それならば、街灯すらないここを!と。
ここで見ました。市内と違うこの田舎ぶりに友人も驚いたようで…。
幼少時、この丘をそりで滑り降りる際に、
祖父から伝授された有刺鉄線から逃れる術。
幼稚園頃までは散々失敗をしたものでしたが…。
この光景も…。
友人が撮るとこのようにすてきに(*^^*)
(Nさんありがとう。使いました)
星メインだったはずなんだけど、夜明けに感動してたっけ。
街と田舎を行き来していたことも…。
それが今になっているんだろうなぁ。
道内各地で20℃超えの声を聞き。
10℃のほどのここから『暖かい場所に行きたい』と
ちょっぴり思うのでした(*^^*)