正月に歳神様を迎えるために飾った注連縄を火によってお還りいただくのが由来のひとつ。
いつもお世話になっている神社に注連縄や数年溜め込んでしまったおみくじを収めてきました。
神社本殿にもお参りし豊穣を祈願。
たくさんの方が訪れていましたが本殿まで参る方は少ないようです。
正月に歳神様を迎えるために飾った注連縄を火によってお還りいただくのが由来のひとつ。
いつもお世話になっている神社に注連縄や数年溜め込んでしまったおみくじを収めてきました。
神社本殿にもお参りし豊穣を祈願。
たくさんの方が訪れていましたが本殿まで参る方は少ないようです。
カウンセラーということをやっていながら、「自分は人前でお話することが苦手です」というと大抵の方は驚かれます。
カウンセリングの仕事のときは言葉の神様が後ろに居てこういうことを伝えろということをと感じてます。
メッセージを感じながらも言葉を捜しているというのが適当な言い方かもしれません。
メッセージというのは愛そのもの。
愛を言葉にすることは難しい
愛>言葉 愛=言葉 愛<言葉
人には感情があって受け取り方は人それぞれ。
愛は優しさ
愛は厳しさ
愛は見守ること
つきつめると全ては愛なんだと思う
だからこそ迷っているときには自分に問うたらいい
そこに愛はありますか?と
昨晩は鏡開きでした。
帰宅するとmikaさんが用意してくれた、小豆汁と餅がありありがたくいただきました。
鏡開き
鏡を開くこと、神社へいくと鏡が祭壇にあります。
ご神体が鏡というところもあり、鏡を開くということはそこからきているのだと思います。
一般的には餅を食べる日という認識かもしれませんが、鏡餅を飾るというのには歳神様をお迎えするという意味があります。
お供えしたものを食すというのは無病息災などを祈り歳神様と縁を起こすということが込められています。
お汁粉や雑煮で食べられる方もいますが、そこに登場する小豆。
豊穣という意味があります。
神様に供えられたものを豊穣の祈りを込めて食べる。
昔からの習慣や風習ですが、儀式的な意味合いがあるんですね。
空からの恵み、大地の恵みとの縁起。
そういうことを感じながらこの習慣と縁起が残っていくとよいですね。
餅たべましたか?